おかげさまで1周年。7/17(金)〜20(月)は記念イベント!(と、店主の長い長い裏話)
いつもありがとうございます。パニスタの和田です。
おかげさまで、パニスタは7月17日で1周年を迎えます。
この1年、本当に感謝しかありません。
オープンしたばかりの、まだ何者でもなかったうちの店に足を運んでくれて、パンを「美味しい」と言ってくれて、毎週通ってくれて。皆さんのおかげで、なんとか1年、走り切ることができました。
🎉 1周年記念イベント|7月17日(金)〜20日(月)の4日間
うちのオリジナルキャラクター「むぎちゃん」の日替わりステッカーをはじめ、うちわやアクリルキーホルダーのプレゼント企画、日替わりのお得商品もご用意しています。日によってもらえるものが変わるので、よかったら何回でも来てください(笑)
タイミングが合う方は、ぜひ遊びに来てもらえたら嬉しいです。
2年目のパニスタも、どうぞよろしくお願いします!
ここから先は、長い長い裏話です。
この1年間、いや、俺がパン屋を志してからの5年間、裏側で何をしてたのか。店舗1周年のこの節目に、一度ちゃんと書いておこうと思います。
先に言っておくと、綺麗なサクセスストーリーではないです。泥臭くて、情けなくて、思い出すだけでしんどくなる話もあります。そして本当に長いです。
お時間のない方は、どうかここでそっと閉じてください。
それでも付き合ってやるよという方だけ、読んでもらえたら嬉しいです。
5年前、俺は大阪市内で通信会社の役員をしていました。
たぶん周りからは順風満帆に見えてたと思います。でも中身は空っぽでした。夢もない、目標もない。どちらかというと昔から冷めた人間で、熱くなってる人を見るとちょっと恥ずかしくなるような、そんなやつでした。自分の人生について深く考えることもなく、「今日の夜、楽しく飲めたらそれでええわ」。そんな毎日を過ごしていました。
そんな俺を変えたのは、子供の誕生です。
もともと子供は苦手でした。よその子を見て可愛いと思ったこともほとんどない。なのに、自分の子供が生まれた瞬間、衝撃を受けました。可愛すぎて。こんなに可愛いんかと。
そして生まれた翌日の朝。いつもと同じ通勤の道が、まるで別の景色に見えたんです。今までずっと白黒でグレーがかって見えていた世界に、ブワッと色がついた。花の色、空気の匂い、道端の何でもない自然。「世の中って、こんなに綺麗やったんや」と本気で思いました。
この子を育てなあかん。この子と一緒に、人生を情緒深く楽しみたい。親としてできることは全部やりたい。
生まれて初めて、腹の底から熱いものが湧いてきました。
ちょうどその頃、実家のパン屋の売上が落ちていました。近くにショッピングモールができて、みんなそっちに流れてしまって。父親が「もう定年待って店を畳むだけやからええねん」と寂しそうに笑うのを見ました。
俺はパン屋の息子です。窯から出たばかりの、一番美味しい状態のパンを、ほぼ毎日食べて育ちました。
だから正直、大人になってから誰かとパンを買いに行って、みんなが「美味しい美味しい」と食べているパンを、「……ほんまに美味しいか、これ?」と思ってしまうことがずっとありました。嫌なやつですよね。でも今ならわかります。俺は毎朝、焼きたてを食べていたから。昼過ぎに買うパンが、あの焼きたてを超えられるわけがなかったんです。
焼きたてのパンには、圧倒的な破壊力がある。俺はそれを知っている。
ちょうど急速冷凍の技術が上がってきて、冷凍のお弁当なんかも流行り出していた時期でした。この技術を使って、30年パン屋を営業してきた父親のレシピと技術を再現できれば、家庭でも「窯から出たての、あの美味しさ」を再現できるんじゃないか。それをネットで届けられたら、どれだけ素晴らしいだろうか。
妻に相談しました。妻は都会の便利な生活が大好きな人です。奈良の田舎への引っ越しも、慣れない車の運転も、本当は嫌だったと思います。不安しかなかったはずです。それでも妻は「あなたがやりたいなら、一緒に頑張ろう」と腹を括ってくれました。
役員の椅子を捨てて、パンの世界に飛び込みました。
父親の店で1年ほど修行させてもらい、冷凍パンのネット通販を始めました。
全く売れませんでした。
SNSで発信しないといけないのはわかってる。でも、何者でもない自分を自信満々にさらけ出すことが、どうしてもできませんでした。
当時は飲みに行くのもやめて、遊ぶのもやめて、欲しいものも我慢して。「欲しがりません、勝つまでは」の精神で生活していました。そんな状態でSNSを開くと、他人のキラキラした暮らしが目に飛び込んでくる。それを羨んでしまう自分が嫌で。しかも投稿を作るついでに、興味のある動画についつい時間を奪われてしまうのも嫌で。SNSそのものを、どうしても好きになれませんでした。
気づけば、作るのは子供の投稿ばかり。肝心のパンのことを、自信を持って発信することができませんでした。
すがる思いで楽天に出店しました。少しずつ売上は伸びて、月100万を超えた頃、「一気にお試しの人を増やそう」と年末のスーパーセールに半額で商品を出しました。
スマホの注文の通知が鳴り止まなくなるのを始めて体験しました。
嬉しかった。でも、その先に待っていたのは地獄でした。
半額にした5000円のパンセット。手数料と送料と経費を全部引いて、手元に残る利益は100円弱。パンを焼いても焼いても、お金は楽天とヤマトに流れていく。妻は血走った目で、朝から晩まで配送の段ボールと格闘していました。
「売れば売るほど、俺たちが苦しんで、楽天とヤマトを儲けさせてるだけやんか」
本気で絶望しました。
俺には、まともな事業プランなんてありませんでした。走りながら考えるしかなかった。
ただ、始める前にひとつだけ心に誓っていたことがあります。
「絶対に、諦めない」
俺はそれまでの人生で、自分で決めたことを最後までやり抜いたことが一度もありませんでした。夢を持ったこともなかった。だからこれは、俺の自分自身との戦いでした。諦めるという選択肢は、最初から存在させなかった。
スズメの涙……いや、コオロギ一匹の涙ほどの利益をかき集めて、4万円の冷凍ストッカーをクレジットカードの10回払いで買ったりしました。置く場所がないから、店の裏30メートル先にある兄の家の、ガレージ横のウッドデッキの下を使わせてもらえることになり、ストッカーを潜り込ませました。パンを出し入れするたびに、妻と二人で何度も頭を強打しながら、小走りで往復する毎日。
ちょうどこの頃、二人目の話が出ました。
「こんな余裕のない中で?」と思われるかもしれません。妻の年齢を考えると、産むなら早い方がいい。でも、産んだら相当しんどくなるのは、わかりきっている。それでも、子供のことを思えば兄弟はいた方がいいやろうし、妻自身が一人っ子だったこともあって、「兄弟はいた方がいい」という思いは二人とも同じでした。何より、俺自身が子供が欲しかった。
そして俺は、「選択しなかった後悔」だけは絶対にしたくなかった。時間がないのも、金がないのも、全部自分が選んだことやから仕方ない。でも、今が大変やからと作らない選択をして、10年後、少し余裕が出た時に「あの時、大変やったけど産んどけばよかったな」となるのだけは、絶対に嫌でした。
話し合って、二人目を作ることを決めました。
妻は、出産直後の病室にパソコンを持ち込んで仕事をして、退院したら下の子をおんぶやだっこをしながらパンを丸め、配送までこなしてくれました。本当にめちゃくちゃです。感謝しかありません。それでも、生まれた子の顔を見るだけで、いろんな疲れが吹っ飛んだのを覚えています。
ちなみに、この頃の様子は動画でしっかり残っているので、もし息子が将来グレて家に帰ってこないようなことになったら、ひっそり送りつけてやろうと思っています。
そんな中、なかなか上がらない売上。来月の支払いのことしか考えられなくて、一晩中眠れない日は数えきれないほどありました。ただ不思議なもので、途中から「地獄にいること」自体に慣れてきて、目の前の不安じゃなく、少し先のことを考えられるようになっていきました。
父親の店を借りている身。親子だから口には出さないけど、「そろそろ出ていってほしいな」という空気は、ヒリヒリと肌で感じていました。
でも、ゼロから自分の工場を作ろうと見積もりを取ったら、新品なら2000万、中古で揃えても1000万弱。返済のことを考えたら、どう考えても無理でした。
その頃、妻とよく冗談で話していました。
「20年30年やって引退するパン屋さんが、設備そのままで『次の世代が上手いこと使ってくれたらええわ』って貸してくれる物件、出てけえへんかなあ」
そんな都合のいい話、あるわけない。そう思いながらも物件情報を検索し続けていたら——本当に、出てきたんです。それが、今のこの店です。
正直、最初は「店」をやるつもりはありませんでした。楽天の出荷のための工場が欲しかった。小窓から食パンだけ受け渡しできたらいいかな、くらいのイメージでした。
でも、前のオーナーさんの想いを聞いたり、俺が中で作業していると近所の方がわざわざ近寄ってきて「パン屋さん、再開するんですね!」と本当に嬉しそうに声をかけてくれたりして。ああ、この場所にパン屋があったら、みんな嬉しいんやなと。
そして冷静に考えたら、気づいたんです。
俺は別に、楽天でパンを売りたかったわけじゃない。
パンが好きな人に、パンを届けたかったんや。
それがネットの向こうの人でも、目の前の地元の人でも、同じことやんか、と。
店の名前の「パニスタ」。これは元々、俺たち夫婦の間だけで使っていた言葉です。
ただパンが好きなだけじゃなくて、パンのあるライフスタイルが好きで、パン屋のパンとスーパーのパンの違いをちゃんとわかっていて、パン屋にリスペクトがある人。そういう「パン好きの最上位」の人たちのことを、俺たちは勝手に「パニスタ」と呼んでいました。
俺は何のために働くのか。家族といい人生を生きるためです。
じゃあ、誰のためにパンを焼くのか。パニスタのためです。
だから、店の名前をパニスタにしました。
材料には絶対に妥協しないと決めていました。国産小麦を使い、クリームパンのクリームは自家製で炊いて、バニラビーンズをたっぷり入れる。あんパン220円、クリームパン240円。パン屋のパンとしては、ごく普通の価格のつもりでした。
でも、前のお店がかなり安く大量に売るスタイルだったこともあり、オープンしてしばらくすると、聞こえてきたのは「高い店に変わったね」「いい値段するね」という声でした。裏でもいろいろ言われていたみたいです。父親にも、前のオーナーさんにも「ちょっと高いなあ」と言われ続けました。
こだわればこだわるほど、地元に受け入れられない。どうしたらええんや、と本気で悩みました。
それでも、「原価を下げて美味しくないものを出すぐらいなら、売らない方がマシ」。職人としてそこだけは曲げませんでした。
そして現実は残酷で、オープンからわずか2ヶ月で、資金が完全に底をつきました。
融資の相談には、オープンと同時に行っていました。でも「ECは4年前からやってますよね?創業には当たりません」「楽天の実績はお父様名義ですよね?あなたの事業じゃないですよね」と、まさかの門前払い。頭が真っ白になりました。
金は借りられない。売上は立たない。残高は底。
もう、なりふり構っていられませんでした。
実はこの店を始める時、あの楽天スーパーセールの悪夢があったから、「安売りだけは絶対にしない」と心に決めていました。
でも、背に腹は代えられません。その禁を、自分で破りました。
「LINE登録で全品30%オフ、レシートを次回持ってきたらさらに20%オフ」。10人に1人当たるくじ。サイコロでゾロ目が出たら特典。週7日、休みゼロで店を開けたこともあります。朝6時から夕方6時まで開けて、どの時間にお客さんが来るのか試したり。
とにかく「店に来る理由」を作り続けました。生き残るために必死でした。
LINEの友だちはすぐに500人を超えました。俺は毎朝、営業日の朝6時や7時に配信を送り続けました。「迷惑やろうな」と震えながら。当然、たくさんの方にブロックされました。それでも、受け取ってくれる人に向けて、送り続けました。
ただ、その企画を全部回しながらパンを焼くわけです。当然、身体は限界を超えていきました。
そこからは、記憶が飛ぶような日々でした。
1日18時間労働した日もありました。睡眠2〜3時間が何日も続いたり。起きてすぐ作業して、風呂に入る以外、ずっと仕事をしていました。
前のオーナーさんが小柄な女性だったので、厨房の棚は全部、俺の頭の高さにあります。1日に何度も頭をぶつける。疲れで脳がショートして、タイマーを消し忘れ、時間をかけて仕込んだパンを真っ黒に焦がす。
一番怖かったのは、意識が朦朧とするあまり、焼きたてのパンが乗った灼熱の鉄板を「素手」で掴んでしまったことです。手のひらは大火傷。この5年間でついた腕の火傷の痕は、20箇所以上。見方によっては「この人、自殺未遂でもしたんかな」と勘違いされそうな腕になりました。
ここでひとつ、当時の一番きつかった時間の話をさせてください。
明け方4時。カレーパンやドーナツを揚げている時間です。
眠さで朦朧とする中、油の「パチパチ……」という音をじっと聞いていると、思考がどんどん深いところに落ちて行っちゃって。
俺は今、なんでカレーパンを揚げてるんやろう。なんでこんなことになってるんやろう。俺の人生、いつからこうなったんやろう——。
パチパチを見つめているうちに、自分の情けなさとか不甲斐なさに苛まれて、勝手に涙が出てくるんです。
それに打ち勝つために、俺は無理やり笑いました。笑顔を作ったら、涙が止まるような気がしたんです。
でも、笑顔だけではまだ考えてしまう。
そこで俺は、カレーパンやドーナツを揚げている1分間、ジャンピングスクワットをすることにしました。
満面の笑みで、ジャンピングスクワット。1分間やると、めちゃくちゃきついです。でもこれで、余計なことを考えなくて済むようになりました。
明け方4時に、ドーナツを揚げながら、満面の笑みでジャンピングスクワットをしている男が、日本に俺の他にいるでしょうか。
そうやって、無駄なことを考える隙を自分に与えない。無理やりにでも自分に打ち勝つ。そんなやり方で、あの日々を乗り越えていました。
そして、ある日。限界が来ました。
せっかく4〜5時間寝られるはずの夜に、息子の夜泣きが止まらず、一晩中付き合った翌日。意識が朦朧とする中、子供たちを車に乗せて送っている途中で、忘れ物に気づきました。また15分、20分かけて店に引き返さないといけない。
思い通りに進まない仕事。終わらない作業。7時間眠らせてやれない妻。公園の滑り台にすら連れて行ってやれない子供たち。「俺は一体、何をしてるんや」——溜まりに溜まったものが、その瞬間、一気に臨界点を超えました。
俺は車の中で、子供たちの目の前で、思いっきり大声で叫び散らしてしまいました。
子供たちの目は、点になっていました。意味もわからず、父親が狂ったように叫ぶ姿を、ただ見ていました。本当に怖かったと思います。
よく「瞬間湯沸かし器」と揶揄される、キレやすい人がいますが、あれは0度からいきなり100度になってるんじゃない。常に95度でぐつぐつ煮えたぎってるところに、最後のほんの一滴が落ちて、沸騰してるだけやったんや。。。。身をもって、そう思いました。(全員がそうとは限りませんが)あの時の俺は、まさに95度の湯でした。
もう一生、あんなことはすまいと、心に誓いました。
追い打ちをかけるように、もうひとつ、悔やんでも悔やみきれないことがあります。
万博です。
上の娘は、ずっと「万博に行きたい」と言い続けていました。閉幕前に何とかならないかと、何度も何度もチケットを取ろうとしました。でも、うちが行ける日は限られていて、ピンポイントでは一向に取れない。時間の余裕さえあれば、空いた日を狙えたかもしれない。でも、その余裕がなかった。
結局、そのまま閉幕してしまいました。
「クラスで万博行ってないの、私だけだよ?」
娘のその言葉を聞いた時、胸を刃物でえぐられたような気がしました。俺は何をやってるんや。子供にこんな惨めな思いをさせるために独立したんか。情けなくて、申し訳なくて、何度も何度も娘に謝りました。今でも、後悔しています。
正直に告白します。
「絶対に諦めない」——そう誓って始めたはずなのに、あの頃の俺は、毎日「どうやってやめようか」ばかり考えていました。
これ全部やめたら、どんだけ楽になるんやろう。朝、オーブンに火を入れながら。夜、眠れない布団の中で。気づいたら毎日、やめた後のことばかり考えている自分がいました。それぐらい、ギリギリでした。
そんな地獄の毎日の中で、嘘みたいな話ですが、ふと頭によぎった言葉があります。
幕末の長州藩、高杉晋作が遺したとされる辞世の句。
「面白きこともなき世をおもしろく」
面白いことなんて何もないこの世の中を、面白くするのは結局自分自身や。。。。
そうか。結局、毎日を楽しく生きられるかどうかは、自分次第なんや。地獄にいるんやったら、地獄の楽しみ方を見つけたらええだけのことやんか。
その瞬間、スッと気持ちが切り替わったのを、今でも覚えています。状況は何ひとつ変わってない。金もない、時間もない、寝てない。それでも、世界の見え方だけが変わりました。
そして、そんなどん底の俺を、暗闇から引きずり上げてくれたのは、間違いなく「お客様」でした。
ギリギリの精神状態でパンを焼いて、発酵に失敗して、60点のパンを出さざるを得なかった日がありました。見た目でわかるんです、明らかに。それでもお客さんは、事情を察してくれたのか、文句ひとつ言わずに買ってくれました。そして、また来てくれました。
一日中、狭い厨房で黙々と作業をして息が詰まりそうな時、買いに来てくれたお客さんと少し言葉を交わすだけで、不思議と肩の力がスッと抜けました。
少し余裕が出てきて、「毎日の配信もどうかな」とLINEを休んだ日。お店に来たお客さんに「今日はなんで配信なかったの?」と言われました。
あの、迷惑だと思いながら朝一番に送り続けたLINEを、待ってくれてる人がいた。
張り詰めていた糸が切れて、泣きそうになりました。
そうやって少しずつ売上が立つようになり、「パン屋としての実績」でようやく融資も受けられて、本当に少しだけ、余裕ができました。あの地獄のような日々を途中で投げ出さずに来られたのは、間違いなく、うちのパンを「美味しい」と言って通い続けてくれた皆さんのおかげです。
この冬、家族でUSJに行きました。
ずっと「連れて行ってあげたい」と思いながら行けていなかった場所に、やっと行けた。子供たちは大喜びで、行きの車の中も家族でずっと喋っていました。
喋りすぎて、高速の降り口を間違えました。
迂回するルートは、本来通るはずのなかった、万博会場の横を通る道でした。まだ撤去されていない大屋根リングが、窓の外に見えました。
「私だけ行ってない」
あの娘の言葉がフラッシュバックしてきて、USJに着いて、入場してすぐ、俺はトイレに駆け込んで泣きました。嬉しさと、悔しさと、不甲斐なさと。いろんなものが一気にこみ上げてきました。
でも、本当に、幸せな一日でした。
俺がここまで戦えたのは、家族のおかげです。
俺のわがままに付き合って、一緒に泥だらけになってくれた妻。お客さんからも「頑張ってるのが伝わってくる」と言ってもらえる、自慢の妻です。結婚して10年以上経つのに、今でもふと目が合うと、にっこり笑ってくれます。俺が今ここでパンを焼いて生きていられるのは、間違いなく妻のおかげです。
お手伝いが大好きで、俺がパンを失敗して落ち込んでいると「失敗してもいいんだよ。失敗は誰にでもあるからね」と背中をさすってくれる娘。
いつもおどけて、重たい空気を笑いで吹き飛ばしてくれる息子。
あの日、車の中で叫んでしまった最低な父親ですが、この家族と、支えてくれるお客様がいるから、俺は明日もオーブンの前に立てます。
そして、支えてくれたのは家族だけではありません。
いつも全面的に協力してくれる、両家の両親。
資金繰りに詰まって泣きついた時、お金を貸してくれて、今もアドバイスをくれ続けている先輩。
こちらの無理なお願いにも、いつも快く応えてくださる前のオーナーさん(家主さん)。
そして、未熟な職人を支えるように、店に通い続けてくださるお客様。
俺の周りにいてくれる、すべての人に、心から感謝を申し上げたいです。
うちのキャラクターの「むぎちゃん」は、妻の原案から生まれました。
うちはパン屋なので、子供たちがたくさん来てくれます。うちの娘も、犬と可愛いキャラクターに目がありません。可愛いキャラクターがいるだけで、子供は喜んでくれる。いつか、むぎちゃんとパンの物語を絵本にして、お店に並べられたらいいな——なんてことも、ほんのり考えています。
でもまずは、2年目。
何もなかった俺が、毎日失敗して、失敗して、失敗し続けて、ようやく自信を持って出せるパンが作れるようになりました。今度は俺が恩返しをする番です。俺を救ってくれた大切なお客様と、愛する家族のために、パン好きの人にワクワクしてもらえることを、これからも考え続けます。
俺は俺の人生をかけて、パニスタ(パンを愛する人)のためにできることを考え、いつかこの店を通じて、何か社会に貢献できることをやっていきたいと思っています。その一歩として、2年目はふるさと納税にも力を入れていく予定です。
本当に、本当に長くなりました。
こんな不器用な男がやっているパン屋ですが、2年目のパニスタも、どうぞよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今週末、お店で皆さんの笑顔に会えるのを、心から楽しみにしています!